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鉄道歴史研究


狩勝高原エコトロッコ鉄道のある新内駅
狩勝高原エコトロッコ鉄道はこの新内駅構内をぐるっと回るように線路が敷かれています。
乗車しているとわかると思いますが、保存車両のSLと寝台車が停まっている場所は
もともと新内駅の1番線ホームで札幌方面へ向かうときのホームです。
寝台車の向こう側にある「新内駅」と書いてある建物の場所が新内駅舎があった場所です。
その駅舎があった場所の横に階段があり、降りてみると先に続く道がありますが、
これがかつての駅前通りです。


その駅前通りから撮影された廃止間近の新内駅舎です。
現在はSLホテル時代の管理事務所だった建物に変わっています。


ほぼ同じ位置から撮影したSLホテル時代の管理事務所です。(2003年撮影)



道立図書館にて撮影させてもらった明治時代のものと思われる縦断面図からの新内停車場部分です。
カーブの半径などの単位はチェーンでかかれています。
驚くべきは、新内駅から新得方向の掘割部に雪囲があったことです。
現在は影も形もありませんが、狩勝線開通当初はこういった掘割部には雪囲があったようです。
なぜか雪囲の長さは「延長九百九十尺」と尺貫法で書かれています。


同じく縦断面図の新内停車場部分です。色を反転して見やすくしてあります。
こちらも新得方向に雪囲が記載されており、掘割部にあったことがわかります。
キロ程(?)は、マイル・チェーンで記載されており、なおかつこのときの起点は
滝川ではなく旭川だったため、昭和時代の縦断面図をみて計算しても到底合いません。



さて現役時代の駅構内ですが、図にしてみました。
ホームなどの有効長が列車の最大長は無く、突込線に入って一旦バックし、
最後部を引上げ線に入れて対向列車と交換するしくみの駅でした。
(本州では信越本線旧線横川〜軽井沢間にあった熊ノ平信号場が同じしくみです)
図では下り列車用の引上げ線が無く、下り列車が上り列車と交換する場合は
上り列車がこのスイッチバックを行い、下り列車は行っていなかったように思えます。

下り列車用の突込み線は現在でも浅い掘割となって森の中に続いています。
春先や秋も深まった頃には歩いていくことができます。
新内駅から新得側へはすぐに25パーミルの下り勾配になるため、
この突込み線は左へ大きく反れて平地内に敷かれています。

上の写真は菊池彰氏の写真を拡大したものですが、
向かってくる列車の後部はまだ25パーミルの真っ最中でその勾配のキツさがわかります。
左へそれていっているのが下り突込み線です。
左の建物は、保線小屋で新得保線区の新内線路班の建物です。
右へそれていっているのが上り列車の引上げ線です。
これは現在ではまったく形跡がありません。
ちなみに左側に立っている腕木式信号機のすこし手前付近に
エコトロッコの受付が建っています。


現在では様子がすっかり変わってしまい、当時のものがどのあたりにあったのか
よくわかりません。現在エコトロッコへ来るときに38号線からの道は
新内駅が現役時代は無かった道路です。
そこで、現役時代から廃止後、現在までの空中写真を比べられるようにしてみました。

←※マウスをかざすと下の空中写真が変わります。




1番線(上りホーム)の現在で言えばホーム上のトイレの前付近から落合方向を撮影したものです。
列車は補機なしの短い貨物列車です。
先頭の機関車は、リアルラインのNゲージで発売されたD51137号機の実物です。


上の写真でカメラを新得側に向けた写真です。
上り列車が新内駅に到着しようとしています。先頭の機関車はC57194号機です。
左側に見える勾配標のあたりが現在のエコトロッコの乗降ホームになります。
駅員さんの左側のフタのしてある階段は反対側のホームに行く通路で、
この階段は現在でもあります。
駅員さんの右側は信号扱所で、この中で信号機を操作します。
現在でもこの建物の基礎部分は埋もれながらもあるのが確認できます。


先ほどの上り列車の乗車しての車窓風景ですが、新内駅を出発してすぐです。
左側に見える線路は、上り突込み線で終端が見えます。
左側に見える45と書いてある標識付近に現在でも見られる「落合第20号溝橋」があります。
列車は登り25パーミルと半径241mの急曲線に挑んでいます。
左側の森の中から沸いて出てくるようなハエタタキが見えます。
この先で本線上をまたぎ、そして本線から離れていきます。
次にハエタタキと交差するのは大カーブの手前です。
線路が遠回りしているために、通信線はショートカットして進んでいきます。
そして次に本線と平行するのは滝川起点124k500m付近で大カーブの先になります。


上の写真の車窓から後部を撮影したものですが、だんだん低くなっていく新内駅が見えます。
後部補機の重油併然タンクの上に下り場内信号機が見えます。
新内駅の下りホームには先ほど交換した下り貨物列車の最後部の緩急車が見えます。
その緩急車の後ろ付近が、エコトロッコのトンネルの場所です。
右側の低い線路は上り突込み線です。


新内駅先(滝川起点126k860m付近)を走るキハ22(手前が新得方向)
列車の右側に見える信号機は下り場内の中継信号機で、
ここの場合ですと、場内信号機の約560mほど手前にあります。
狩勝信号場〜新内までの区間は急カーブが連続するために場内信号機の予告があります。
現在この場所は新内駅からゴルフ場の先、林道区間になりますが、
あたりは森に還ってしまって景色がまったく違い当時の面影はありません。


現役時代線路の周囲にはほとんど木が生えていなかったために
狩勝峠からも新内駅を望むことができました。
堀越庸夫氏撮影の狩勝峠付近から新内駅の撮影ですが、駅部分のみトリミングしています。
新内駅で交換した上り列車はすでに新内駅からかなり離れ、
25パーミルの上り勾配を登っている最中です。現在の位置でいうとゴルフ場の先、
林道との鋭角十字路をすこし先にいった場所付近です。(滝川起点126キロ付近)
交換した下り列車はまだ新内駅に停車中です。
新内の町並みも見える貴重な写真だと思います。
現在狩勝峠の展望台からはサホロ酒造の建物はなんとか見えますので、
これを目印に「あのあたりかな」と想像はできると思います。



〜 新内駅ホームの石について 〜

上の写真はすこし古いですが、ホームは現在でも変わっていません。
ホームの笠石やその下の石垣に使われている石は「御影石」と呼ばれる石で作られています。
これはもちろん新内駅が出来た明治の頃に作られたもので、
新内隧道や沿線に見る石垣は全て同じ石で作られています。
産地は新内から狩勝峠に向かった7合目付近にありますが、
これは佐幌岳の石切り場についてを参照していただくとして
ここではホームの石についてのお話です。
開業時からあるこの御影石でできたホームの笠石は上の写真でいうと蒸気機関車の先頭部分から
すこし後ろでコンクリートに変わっています。(ホームの端のみ)
現役時代の写真で廃止間近の1966年8月の写真でも御影石の状態で写っていますので、
たぶん廃止後に笠石を撤去して、コンクリートに変えたものと思われます。
ちなみにSLホテルの開業時の写真を見ると真新しいコンクリートに見えますので、
SLホテルの開業にあわせて作られたのかもしれません。

ホームの落合方向に進むと、真ん中付近からはさらに笠石どころか石垣部分までが撤去されています。
しかしコンクリート製の終端はオリジナルの笠石がひとつだけ残されています。

落合方向に行けば行くほど石垣部分も撤去が激しくなっていきます。
写真の勾配標はトロッコのものです。
トロッコの勾配標のすこし新得方向に待合室がありました。
現在はホーム上から大きな木が生え、さらに石垣を壊そうとしています。
現在はトロッコの線路の終端付近にはトロッコの格納庫があるために
写真と同じようには見ることができません。

廃止駅ならホームの一部が無くても廃止駅だから当たり前だと思って言いました。
が、しかしここの駅は理由がありました。



北海道鉄道千哩記念塔

この塔の建立の由来ですが、
道内の鉄道は明治13年の手宮−札幌間の開通に始まり、明治34年釧路−白糠間の開通に続いて
大正5年には国有私鉄合せて1,000哩に達したのを記念して、
初代北海道鉄道部長であった田辺朔郎博士が自費をもって建立したもの。


田辺朔郎博士?

明治29年、臨時北海道鉄道敷設部の技師として来道した氏は、同年8月には
網走から硫黄山、釧路−根室と踏査し、さらに十勝から日高地方を線路敷設のため調査した。
明治31年初代鉄道部長となったが、同等の発展は実に氏の設定した
鉄道路線が基盤となったものでその功績は大きい。


さらにこの塔の変遷

昭和2年3月に完成した初代の塔は、釧路市鶴ヶ岱、太平洋を見下ろす一角に
1,000年の後世に伝えられるようコンクリートで造り、塔にはめられた4枚の額石は、
ノールウェイ産のエメラルドパールで、その一面には博士の自筆で1,000哩までの鉄道史の一端を、
一面には当時の岡本釧路市長の手による塔の由来が刻まれている。
 ところが、昭和33年6月、塔は私立東中学校の校庭拡張工事の余波をうけて取り除かれた。
その後、有志の善意によって38年同地域に再建されたのの、あまりにも駅から遠いのと、雑草に埋もれ、
その存在すら忘れられようとしてしていたため、昭和42年10月14日鉄道95周年の記念行事の一環として
釧路鉄道管理局が駅前広場に移設したものである。


そしてさらに釧路駅のなにかの工事の影響でまた移設されることになる。
そして現在は釧路の幸町公園の中にこの塔はありました。

昭和42年の移設時に新内駅のホームから御影石を持って行き、土台に使用したとあります。
現地に行ってきましたが、確かに下の土台部分は新内のものに間違いがないように見えます。
歴代の塔の写真で昭和42年の移設時のものは石垣部分が3段以上あるように見えますが、
現在は1段だけで、下に埋まっているのかそもそも移設時に簡略化して
1段にしてしまったのかはわかりません。