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鉄道歴史研究


根室本線旧線(通称狩勝線)の狩勝信号場〜新内駅間では山岳部のためと、
急勾配緩和のために大小いくつものカーブがあります。
ちなみに、狩勝信号場−新内間8k730mの間に左カーブ15、右カーブ15箇所あり、
カーブの合計距離は6,254m、直線の合計は2,475mでカーブが全体の71.7%になります。
またこの区間のほとんどは勾配が25パーミルで乗務員にしても保線員にしても大変苦労が多かった場所です。

ただ前後に蒸気機関車を備えた長い貨物列車がこのカーブを走り、
バックに雄大な十勝平野が広がるこの風景は他には無いといっていいと思います。

さてこの大カーブの半分は長い築堤で出来ているために、
しばしば新内沢大築堤と間違えられることもあるのですが、この間には沢はありません。
新内沢大築堤は別ページにて研究しています。 →「新内沢大築堤」


根室本線旧線の落合〜新得間(旧狩勝線)でこういった180度進行方向が変わるような大きなカーブが
4箇所ほどありますが、今回取り上げている大カーブは180度以上方向が変わり、
かつ、他のカーブよりもカーブの半径が一番小さいためにこのような名称になったと思います。
※他3箇所のカーブの半径は201.17m、241.4mで大カーブは最小179.04mです。


昭和40年発行の地形図でみるとこのような位置に大カーブはあります。
落合側から見て大カーブの開始地点となる124k付近は山の斜面に掘割でどんどん潜りこんで行くような形になり、
南に向いた時点で山の斜面から飛び出し、築堤によってだんだん下がって行き、125k手前で地山に戻る
といった形になっています。


左側が明治のものと思われる大カーブ付近の平面図です。右側は昭和40年の平面図です。
大カーブは4つのカーブでできているのがわかります。
落合側から半径225.31m、181.05m、181.05m、179.04mでちょうど真ん中あたりに40cmの直線が入っています。
この40cmの直線はどうして入っているのかはナゾのままです。追って調査します。
それと、明治時代には大カーブの掘割部に雪囲があったこともわかります。
昭和の時代にはもう無かったのですが、いつごろまで存在していたかはわかりません。
画像の外へはみ出していますが、“延長一千六十尺”と記載されていました。(約321m)
そんなに長い雪囲(スノーシェッドと思われる)があったとは想像もしていませんでした。
が、しかし写真などはありません。同じものが他の部分にもあり合計で4箇所もあります。


松尾氏が書いてくれた詳細図です。大カーブの構造がよくわかり、築堤部の規模が大きいのもわかります。

もうすこし分析すると半径181.05mの延長が284.39mというのは円の4分の1になります。
181.05mが2つで90度向きが変わることになります。


1977年の空中写真を大カーブの付近のみトリミングしたものに、
カーブの半径など詳細な情報を書き加えました。
大カーブをぐるっとまわると高低差は約20mにもなります。
元機関士の方の話によると、新得側から来てこの大カーブに差し掛かる手前、
半径221mの右カーブ、そして19mの直線をはさんで大カーブの半径179mになる
反向曲線がものすごく大変だったと言っていました。機関士にとっては19mの直線なんて
無いようなものですし、25パーミルの登りもあってキツさ倍といった感じです。


その機関士が大変だったとう反向曲線の現在の写真です。新得側から見ていてます。
先の左カーブが半径179mの大カーブの始まりです。あの先カーブが連続して762mも続きます。


その半径179mの大カーブをまさに走行中の列車です。 村樫四郎氏撮影
後部補機が押上に奮闘中で煙突から煙がモクモク出ています。


現在は新得町によって大カーブの築堤上に案内板が立てられています。
この案内板の写真も村樫四郎氏の写真です。


案内板の写真の貨物列車の後追い写真です。現在の同地点の写真と比べます。
樹木が生長し、カーブが見通せないのが非常に残念ですね。


三品勝暉氏の大カーブでの写真をトリミングしたものですが、
大カーブの築堤部には風速計がついていたことがわかります。
この写真のいいところは風速計が付いている電柱のすこし前に124k500mのキロポストが見えます。
これで、この電柱のある位置は124k500mのキロポストの次の電柱ということになります。
これも三品勝暉氏に大変感謝です。


そのキロポストですが実物が現在も存在しています。風速計の付いた電柱はありませんが、
このキロポストの位置で電柱の位置も想像できると思いますので、
現地に行った際は探してみるのもいいと思います。
またこのキロポストから保線の担当域が変わる場所でもありました。
新得側が新得線路分区、落合側が狩勝線路分区になります。
狩勝線路分区はあの狩勝信号場の構内に詰所があって保線員は信号場内に住んでいました。




〜 これほどの築堤に使った土はどこから? 〜

さて、明治の重機の無い時代によくここまでの築堤を作ったものだといつも関心します。
きっと大カーブの開始地点にある掘割部を掘ったときに出た土砂をそのまま築堤の土に
使ったのだと思っていました。
しかし、規模をみるとそれだけでは到底足りる土の量ではありません。掘割部はそれほど深くなく、
築堤部よりも距離が短いので、どこからか土を追加で運んでくる以外にこの築堤を作る手段がありません。
しかし、当時は人や馬のチカラだけが頼りですから、そんなに遠くから運んできては時間がかかりすぎます。

旭川釧路間全線開通記念写真帖という本からの写真で明治時代のものと思われますが、
この写真で赤い矢印部分に注目していただきたいのですが、山が広範囲にわたって崩されています。
これはもうここの山を崩して大カーブの築堤を作ったと思うしかないような写真です。
現在はもちろん木が生えてこのような痕跡はわかりませんが、松尾氏は現役時代に
大カーブの築堤から円の内側に降りて行くと地面が平らだったと言っています。
やはり近い場所から土を運んでいたようです。

写真の撮影場所は現在でいう国道38号線の五合目の駐車場付近からだと思います。

1977年の空中写真にはかろうじてその痕跡がわかります。
それでもこれほどの広範囲の山を崩して築堤を作るのも大変な労働だったに違いありません。


大カーブの半径181.05mの始まり部分(かつて雪囲の途中だった部分)の写真です。
奥に124kのキロポストがありますが、(私たちが復元したもの)この掘割を人力で作るのも
また大変な労力だと思います。
この掘割部をぬけると一気に視界が広がり、
大カーブの高い築堤の上からの雄大な景色が車窓から見えたことでしょう。



急勾配と急曲線は事故の歴史でもありました。昭和8年10月17日 貨2103列車脱線転覆
これも事故原因は記載されておらずまた想像するしかありませんが、
元機関士の話では、ブレーキが利かなくなって脱線したという話は聞いているとのこと。

新得機関区の資料からは、
「機関車及び貨車37両が折り重なり、機関手重傷、機関助手は重傷後死亡するという大事故が発生した
(所属は富良野機関庫)」とあります。  2014.10.14加筆

場所は大カーブの手前の左カーブですこし掘割内に入ったところです。
元機関士の話から推測すると、狩勝信号場を出発した貨物列車は順調に坂を下っていたが、
途中からブレーキが利かなくなりどんどん加速。この手前は半径402m、301mと比較的緩いカーブで進み
ついに半径221mのカーブで脱線転覆という感じでしょうか。
大カーブの築堤上で転覆しなかったのは不幸中の幸いでしょうか。

先頭の蒸気機関車は「19619」号機に見えます。
ネットで調べるとこの蒸気機関車は1917(大正6)年製で1970年に廃車になっています。
事故後に復活し活躍していたようです。


機関車の後ろで転覆している貨車の拡大画像ですが、夕張鉄道の社紋がはいっています。
こういった部分も見逃すことはできません。


写真の左上部分(線路の先)の拡大です。123k500mのキロポストと勾配標が並んで写っています。
この勾配標は向こう側は15.2パーミルで手前側は25パーミルです。
このような組み合わせの場所は狩勝信号場から新得間では123k500m付近にしかありません。
このキロポストと勾配標は復元してありますので、この写真を見ながら現地にいくのもいいかも知れません。


キロポストと勾配標の場所の現在ですが、夏はこれほどに木の葉が茂り、草が生えます。
とても同じ場所にはえませんが、でも同じ場所です。
笹を刈り取って勾配標を復元しました。すこし手前にある朽ちた勾配標は現役時代のものですが、
松尾氏が草むらの中から発見し施行基面上に(見えないから)立てたものです。
しかし長年草むらの中で倒れていたせいもあり、すでに釘が効かないまでに朽ちてしまいました。
私たちが復元した勾配標と交代していただきました。長い間ご苦労様でした。


これも村樫四郎氏が同じ場所で撮影されていましたので見比べることができます。
右側に滝川起点123k500mのキロポストが写っていたので、同一地点であることがわかります。
D51の重連で、バックの山々がきれいです。現在この場所からバックの山はまったく見えません。
写りこんでいる客車の最後部の左の電柱が新内駅で別れたハエタタキです。この先で線路に接近してきます。